シックスパックでなければ何なんだ?

シックスパックは要らない。

 

では、何が必要なのかな。

いや、むしろ、何も必要ないのかな?

 

 

 

少し話は変わるかもしれないが、「これ、買いませんか?」と、営業されたとき(太陽光パネルとか、リフォームとか、保険とか、なんやかんや)、

「私は今の生活に満足しています。満足している生活を変えるつもりはありません。だから、買いません」

と、お伝えして断っている。

 

営業さんは、

「もっと便利になりますよ」「もっと安くなりますよ」「もっと素敵になりますよ」「もっと安心できますよ」「最新ですよ」

とおっしゃる。

 

便利、安い、素敵、安心、最新、、、、世の中で【良い】とされている価値は、私にとっては必要のない価値である事も多いのである。

 

つまり、私の心の中には

「シックスパックのために、時間と労力とお金を使いなさい。なぜならば、世の中の誰もが認める価値なのだから。みんなが良いと思っているものなのだから。みんなが良いものに時間と労力とお金を使えば、ハズれる可能性も低いしね、うん、本当に必要かどうかはわからないけど、大事にしてみよう。」

という声が、シックスパックに限らず蠢いているのでいるのである。

 

 

これは、誰からも強制されてはいない。

「安いですよ、安心ですよ」と勧められはするが、強制ではない。

いわば、【勝手に感じる同調圧力】である。

 

さらに言えば、世の中の価値と、自分の価値が一致している事もある。

いや、その方が多いからこそ、いつの間にか自分の価値より、世の中の価値の方を重視してしまっている状況に陥ってしまうのではないか。

 

そして、この「世の中の価値観」は、操作されてしまう、作り出されてしまうこともある。

 

 

 

世の中の、ではなく、自分の、価値をしっかり捉えないのは、自分でなく、世の中の一部としての人生を送ることにはならないか。

 

満足している。

家族がいる、職を失う可能性も少ない、仕事も楽しい、お金に困っているわけではない、すべての人間関係が良好だ。

満足だ。

 

何も求めずとも、最高の人生だったと言える終着駅に続く途中駅にいる感覚すらある。

 

だけど、ブログを書いている。

だけど、ブログを書いているのである。

 

求めるものは、シックスパックでなく、何なんだ?